「左官壁」
ガウディとの出逢い 「若いうちに本物を見てこいと、父にリストを渡されて、1ヶ月半の間、ヨーロッパ旅行に出されたんです。最初に訪れたのがバルセロナ、ガウディの《サグラダファミリア》。衝撃的でした。 造形もですが、100年も昔から、人の手でこれを延々とつくり続けているのかと。ほかにもいろいろと見てまわりましたが、ガウディを知って、左官屋になろうと決心しました。父の策にまんまとハマった訳です」と久住氏は笑う。 高校を卒業後、久住氏は本格的な修行期間を経て、1994年に親方として独り立ちする。弟子を教える立場である一方で、京都で茶室を専門に手掛ける棟梁のもとで日本の伝統家屋についてイチから学ぶ。海外にも出かけ、当地の職人たちとも交流した。住宅、茶室、寺社、飲食店から公共施設など、さまざまな壁や天井をその手で仕上げてきた。 上と下の写真は《日本平ホテル》のエントランス。この大空間へと降りていく階段部分もふくめた左右の壁を、久住氏が代表を務める左官株式会社で請け負った。 積層をイメージした壁で、表面の塗り土の厚みは1センチに満たない。
左官屋の家に生まれて 久住氏は1972年生まれ。 父の章氏はその頃から「カリスマ左官」と呼ばれ、有生氏と弟の誠氏が未だ幼い頃から”左官の英才教育”を施した。息子が小学生になると、夕食前に畳一枚ほどの壁を土で塗って仕上げるように申し付ける。遊び盛りの年頃なのに、それも毎日。 「これがもう嫌で嫌で」と久住有生氏は幼少期を振り返る。「苦労して塗り終えた土壁を自分の手で壊して、剥がした土を捏ねて翌日また同じ壁を塗るんです。面白いわけがない。塗ったフリをしてごまかそうとしたら、あっさりバレて、晩メシ抜きに。しかたなく、中学に上がるまでは続けました」。これが後に大きな財産になるのだが、当時は左官を継ぐ気は毛頭なく、将来の夢はパテシェ。それが180度変換したのは、高校三年生の夏休みのこと。
「日本から腕利きの職人を20人くらい連れていったのですが、どこかのんびりとした現場の雰囲気が、僕らが作業を始めると一変するんです。ピリッと締まる。言葉は通じずとも、ものづくりにかける一生懸命さが伝わって、現地雇いの職人たちの意識も徐々に変わっていきました。興味深い体験でした」
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