トゥーゲントハット邸
内装は、造作家具に加え、《バルセロナ・チェア》(前年に手掛けた《バルセロナ・パビリオン》から命名)や、この邸宅のためにデザインしたトゥーゲントハット・チェアなど、ミース自身の作品で仕上げている。 伸縮可能なオーニングで、西向きの大きなガラス壁から入る直射日光を調整することができる。さらに、このガラス板は下方にスライドして地下階にあるポケット部分に収容される仕組みになっており、現在は一般的となったスライド式ガラスウォールの先駆け的な存在だ。 ガラス窓の電動制御装置や、当時の最先端の冷暖房システム、また建設と内装の全体的な質の高さのため、邸宅建設の費用はかさみ、当時の一般的な小規模住宅の30倍の工費になったという。
西側からは3つの階がすべて見えているのだが、巧みなヴォリュームの配置により、そのような印象は受けない。水平に伸びる地上1階のガラス窓が目を引く一方で、2階部分は奥まり、ほとんど隠れてしまっている。いちばん下の階は地上に見えている部分が少なく、ほぼ開口部のない壁面となっている。 メール 保存 道路に面した東側からは、平屋建てであるかのように見える。水平に広がる外観、大きなガラス壁、ガレージの入口をファサードの中央に配置している点など、1930年には大きな物議を醸したことだろう。現代人の目で見ても、通りからの姿はほとんど住宅のようには見えない。 右側のガレージと中央のガラスの壁の間には隙間があり、建物の向こうにあるランドスケープを切り取って見通すことができる。その眺めに引き寄せられるように進むと、家のエントランスがある。
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが、かの有名な《ファンズワース邸》を完成させる20年前、そして米国に移住する7年前にあたる1930年に、裕福なトゥーゲントハット夫妻のために設計していたのが《トゥーゲントハット邸》である。 フリッツ・トゥーゲントハットとの結婚祝いとして、妻グレテ(旧姓ヴァイス・レーフ=ベーア)は、彼女の一族が所有する土地から2000平方メートルほどの区画を贈られた。現在のチェコ共和国、ブルノ市のチェルノポルニ通り沿いにある傾斜した土地である。ミースはこの敷地のなかに、乱平面の3つの階からなる住宅を設計した。いちばん上の2階には、エントランス、ベッドルーム、乳母の部屋、テラス、子どもの遊び部屋、ガレージと運転手の部屋が位置している。1階にはリビングエリアとキッチン、温室、もうひとつのテラスがあり、地下階はユーティリティ室となっている。 ひとつながりの流れるようなオープンプランで、構造柱を壁から離した設計は、ミースがわずか1年前に手掛けていた《バルセロナ・パビリオン》を住宅にしたかのようにも見える。この邸宅は、のちに1950年代のアメリカでミースが手掛けた高層オフィスビルに多く見られる「ユニバーサル・スペース」の先駆けとなる存在でもあるが、土地の特性と住まい手という条件を考慮して設計されている点が異なるだろう。しかし、ユダヤ系であったトゥーゲントハット一家は1938年にスイスに逃れ、その後南米に移住したため、この家で暮らした期間はわずかであった。 この建物は、のちに学校と病院(児童精神科)として使われるようになったが、それはミースのオープンプラン設計が適していたためでもあるだろう。その後、邸宅の所有権は自治体に渡り、1980年代に修復作業が行われる。2001年にユネスコ世界遺産に登録され、その10年後からさらなる修復工事を経て、2012年3月に一般公開に至った。今回の写真は、最新の修復後に撮影されたものである。 概要 竣工年:1930年 設計:ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ 所在地:チェコ共和国 ブルノ市 規模:延床面積およそ240平方メートル 見学について:事前予約制のガイド付きツアーあり こちらの記事も読む: 絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅10選 名作住宅シリーズ: サヴォア邸/ファンズワース邸/落水荘/イームズ邸/グラスハウス
1階の照明器具にも円形が取り入れられている。ポール・ヘニングセンがデザインした〈ルイスポールセン〉の《PHランプ》だ。同心円を用いた照明は、集中する光と拡散する光の両方を放つ。 こうしたディテールを考えれば、建設費が膨れ上がったのも不思議ではないし、これほど大切に保存され、惜しみない修復努力がされているのもうなずける。そのおかげで、今ではだれでもこのモダニズムの名作建築を体験することができるのだ。 見学情報:事前予約制のガイドツアーの詳細はこちら 世界の名作住宅を紹介する記事はこちら
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